「おそめさん」        

 青木藤太郎狸が惚れて通っていたのは誰もが一度は化かされてみたいと思うおそめ狸だった。
 大川持キリサコの下の転倒田という辺りで、桜の蕾がふくらむ朧月夜の頃ともなると、そこから
コーイコーイという 澄んだ声が聞こえる。
 月明かりに浮かんだその姿は、かすりの着物に赤たすき、姉さんかぶりで腰籠をつけたいい娘。
 村の人は
 「おそめ狸がよもぎ摘みにきとるわえ」
 と噂した。
 ある日のこと、シュロの皮を剥ぎにきた二人の若い男が来た。
 家を出る時、おそめ狸が出るから気をつけろと注意されたが気にとめることなく出掛けた。
 ところが男たちは血相を変えて這い戻ってきた。
 転倒田の辺りに行くと身動きが取れなくなり、自分がどこにいるか分からなくなり、仕事道具も
無くしてしまったと言う。
 女狸だと思って馬鹿にはできないと震える声で話したそうだ。

「丸太転がし」

 
 年末の寒い夜、友達2人で今の引地の市営住宅あたりへさしかかると、向かいの崖山からゴロンゴロンと
丸太を転がし
落とすような音が聞こえた。
 「炭焼きか?」
 「いやこんな夜中にゃやるまい」

 「狸か?」
 「そうじゃろう!」
 「化かされとる時にゃ小便してみろと言うぞ」
 二人で立ち小便したら大きな音がピタリと止んだ。

「大任(おうとう)峰峠の妖し」

 ほとんどの集落の道路が整備されていなかった昭和30年頃、郵便屋さんは1日に3〜40キロの山道を
歩いて配達 していた。
 定年近いNさんが、寺野から大川持へ越える大任峰峠にさしかかった夕暮れ時、道に現れた妖しい
美女に誘われ その後をフラフラついていった。
 そのまま局に帰らず、明くる朝発見されたが服は破れ体中バラ掻きの傷だらけ。
 目はうつろで顔は血の気を失いボーッとしていた。
 その日から魂が抜けたようになり、とうとう3カ月あまり仕事を休んだ。