「くらがり淵の大蛇」

 伊予川の「くらがり淵」と呼ばれる淵にはいつしか大蛇が住み着き、皆大蛇を恐れてその付近を通ることが
できなかった。
 それを与市と呼ばれる男が聞き、皆のためにと大蛇を退治しに向かいついに本懐を遂げたが与市自身も大蛇の
毒に当たって、帰途につい たものの息を引き取った。
 与市は山城谷の大西家の祖先と言われていて、その墓はくらがり淵の上にある赤土山の上に建っている。

「雨の宮の大蛇」

 ある日猟師が雨の宮(竜王を祀っていて雨乞いなどをする神社)の下へ猟に行った時、大蛇が兎を巻いて
呑もうとしていたので可哀相に思い
 「自分にはもうすぐ子供ができる、子供ができたら代えてやるから兎を放してやってくれ」
と頼んだ、すると大蛇は男をじっと見つめ兎を離した。
 やがて猟師に子供が産まれて幾日かたったある日猟師が山から帰ると大蛇が尾を梁に巻き付けて子供を
呑もうと大黒柱を下りて来ている。猟師は木挽き用のハツリで大蛇を斬り殺し家の下にあった淵に流した。
 この家の柱には大蛇を斬った時勢い余って切り込んだハツリの痕が残されているそうだ。

「お初大権現」

 夜道を通る村人の提灯の火を消したり何かと悪さをするお初と言う狸がいた。
 ある日このお初が川に落ちて溺れているところを通りかかった旅人が助けてやると、お初は非常に
感謝をして御礼にと金の玉を二つ贈りこれを元手に旅人は商売を始め手広く繁盛したので旅人は
お初の祠を建てた。
 その後、昭和6年に大月の有志によってお初大権現として改めて建立され今では勝負事や賭事、
商売繁盛の権現さんとして祀られている。

「竜王滝の大蛇」

 大谷と小川谷の交通の要所・伊予川のせまった所に高さが約20メートル、幅5メートルの滝がありかつては
「怒々呂の滝」と呼ばれ付近の人々から大変恐れられていた。
 滝の周辺は昼なお暗く、滝音は轟々と地響きを立てている。滝壺は黒々としてその深さは底知れず、常人は
寄りつけない場所だった。
 おおよそ幕末の頃、付近の人が集まり焼き畑をしてソバを作ろうと滝の上の山で木を切り薪山を作ると火を
点けようとしたが薪山の上に胴回りが2尺(60センチ)もある大蛇がとぐろを巻いていて村人達を寄せ付けない。
 その後、何度行っても大蛇が動こうとしないので困り果てた村人達は7人の祈祷師に大蛇退治の祈祷を頼んだ。
祈祷師7人衆は総掛かりで祈祷をし薪山の7カ所から一斉に火を放つと大蛇を焼き殺しその死体を滝壺に
投げ込んだ。 ところがその直後から祈祷師達は原因不明の病気にかかり三々五々に離散すると方々の峯で
野垂れ死んだそうだ。
 明治の中頃になり付近の若者達がこの滝壺に入ったところ空がにわかにかき曇り大音響と共に大暴風雨が
巻き起こった
 その頃から誰からともなく「竜王さん」と呼ぶようになり、昭和時代に入り有志の方達の手により壺の
右手前上方に石積みの祠が作られ竜神を祀るようになった。そしてその前後から「怒々呂の滝」の名は消えて
「竜王の滝」と呼ばれるようになった。